
福井県機工商組合研修会での講演
寺院での活動としては似つかわしくないタイトルですが、こんなご依頼をいただくこともあります。 仏教とは、今を生きる僕のために伝えられたものです。 これは、生き方の指針であり、それはビジネスにも通ずる考え方です。 どんな業種も、様々な関係性の中でしか成り立つことは出来ません。 今回は、福井県機工商組合様から、 「聴講者はみな、営業畑の人が多いわけですが、あるいは経営者として、様々な困難な場面にぶち当たるときが多々あります。そのようなときに、一歩前に進むことのできる精神の持ち方やリラクゼーション、ストレスとの向き合い方など、実践可能なことでもあれば教えて頂けると、良いと思います。」 とのご依頼に応えさせていただきました。 お話をさせていただく中で感じたのは、「経営者の方々も、現状から一歩踏み出す勇気を求めている。」こと。 これは、僧侶の世界も同じで、僕自身の課題でもあります。 この想いを共有させていただき、感謝しています。 会長様のブログで、講演会の様子をレポートしていただいていますので、ご紹介させていただきます。 ⇒吉岡幸株式会社 社長日記

京都 龍岸寺「超十夜祭り」
超十夜祭りという先進的な仏教イベントを主催する龍岸寺の池口龍法住職から、コラボの要請をいただく。 彼の活動には以前から注目していて、いつかご一緒させていただきたいと願っていたが、「てら*ぱるむす」という浄土系アイドルとのコラボという企画には、正直二の足を踏んだ。 しかし、固定観念に囚われない活動として、また、池口住職の想いに引き寄せられる形でお引き受けすることになった。 打ち合わせのため京都の龍岸寺様で彼女たちとお話しすると、とてもピュアな活動への想いとそこに生じる苦悩に共感を覚えて、応援したい気持ちが強くなる。 そこで、てら*ぱるむすの楽曲のリミックスを申し出た。 ちなみに、この時点で彼女たちの楽曲を聞いたことは無かった。 この打ち合わせの場にもう一方、仏師の三浦さんが同席されていた。小さい仏像をドローンに乗せて飛ばす計画が進行中だった。 浄土宗の阿弥陀如来像は座っているが、浄土真宗の阿弥陀如来像はちょっと前のめりに立っている。 これは「今すぐに救うため、こちらに向かう」ということを表していて、阿弥陀如来が「こちらに来る」演出だ。 これを現代の

テクノ法要の意味、後付けします
知らない人からメールが届く。
そこには「私、仏教音楽も作れます」と。
僕は仏教音楽を作る感覚を持っていない。
ただ、声明をアレンジしているだけ。
送られた曲を聞いてみると、東洋っぽいメロディーが。 ???仏教音楽ってなんだ??? 素朴な疑問が湧き上がった。
仏教として表現すべきことは何なのか、考えるチャンスをいただいた。
特に浄土教について考えれば、表現すべきことは阿弥陀如来の世界観であることは間違いない。
そんなときのテキストは、もちろん経典。
「宝の樹や飾りが風に吹かれて、たくさんの楽器の音を重ねたような美しい音を奏でる」と書かれているがこれだけでイメージすることは難しい。
そこで根本に戻ると「阿弥陀」という言葉は「無限の光と時間」を表している。
阿弥陀の世界とは、時空を超えた世界である。
時空を超えた・・・ 東洋とか、とっくに飛び越えてる。 まるで4次元世界? サイバー空間? SF?・・・ テクノっぽいじゃん。。。(^_^;) 宝の樹や飾りが風に吹かれて鳴る音も、ランダムに変化するノイズ的に表現・・・ 方向性、間違って

東京国立博物館「大報恩寺展」
真言宗智山派の大報恩寺(通称:千本釈迦堂)様が所蔵する仏像を東京国立博物館で展示公開する特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」の開催に併せて、真言宗智山派とテクノ法要のコラボが実現しました。 実は、公共の施設での布教活動は禁じられています。 仏像の展示は「美術工芸品」の展示であって、布教活動には当たらないという見解から、全国の博物館等で開催されていますが、「法要」と名乗る行事には問題がありました。 しかし、テクノ法要のプロデューサー氏や読売新聞様のおかげで、テクノ法要は伝統文化を基調とした文化活動であるとの認識をいただきました。 また、真言宗智山派として、声明のテクノアレンジを許可していただけるのか、大きなハードルと思われましたが、大報恩寺ご住職の菊入諒如師には、快くご了承いただき、懐の深さに感動しました。 今回は真言宗智山派の行事のため、当派の声明をテクノ化することからスタート。 大報恩寺の菊入住職のお勤めをレコーディングするため京都に向かいました。 初対面の印象は「厳しそう」な感じで恐縮していたのですが、少しお話をさせていただくと、に