浄土真宗用語集

 
 

阿弥陀経
(あみだきょう)

浄土三部経の一つで小経(しょうきょう)とも呼ばれています。

極楽浄土の美しい風景や、阿弥陀仏のはたらきなどを説き、宇宙の全方向から数えきれない数の仏たちも阿弥陀仏を称えていると説かれています。

​心から念仏することがあれば、いのちが尽きると同時に極楽浄土から阿弥陀仏がお迎えに来られると説かれ、念仏を薦められています。

釈迦様がお弟子の舎利弗様に向けた言葉で、短い経典の中で「舎利弗」とお名前を36回も呼びながら語りかけています。

この呼びかけは、お釈迦様が「わたし」に阿弥陀仏のはたらきをお伝えいただきているように感じてしまいます。

阿弥陀仏
(あみだぶつ)

「阿弥陀」とはインドの言葉「アミターバ・アミターユス」に漢字を当てはめた言葉で、「限りない光・限りないいのち」という意味を持っています。

「光」とは空間を「いのち」とは時間を表すもので、無限の空間と時間を表しています。

「仏(ぶつ)」もインドの「真理に目覚めた人」を意味する言葉「ブッダ」に漢字を当てはめた「仏陀」のことですが、「阿弥陀仏」とは実在した人物ではなく、時空を超えた真理そのものだと感じています。

 

永代経
(えいたいきょう)

永代(永い年月)にわたり、が伝わることを意味します。

地域や時代を超えた様々なご縁のおかげで、約2500年前にお釈迦様が示された考え方が、今のわたしにまで伝わってきました。

​そして未来に向けて、わたしがご縁となってが伝わります。

永代経懇志
(えいたいきょう-こんし)

を永い年月にわたって伝えるための寄付です。

​1.寺院で永代経法要を勤める際の「お供え」としての寄付。

2.永代経開闢(かいびゃく)法要(永代経法要2.を参照)の御懇志は葬儀の際に勤めるご寄進いただくのが一般的ですが、生前にご寄進いただくこともあります。​

永代経法要
(えいたいきょう-ほうよう)

が今のわたしにまで伝わった様々なご縁に感謝し、未来に向けて伝えていくための行事です。

1.故人をご縁とした「寺の年中行事」として勤める法要。

照恩寺では、4月と8月に勤めさせていただいています。

2.故人をご縁としてご遺族が施主となる法要。

葬儀の際には、(忌明け・1周忌・3回忌・・・・)が、これから始まっていくことを意味して「永代経開闢(かいびゃく)法要」を勤めます。

 
 

観無量寿経
(かんむりょうじゅきょう)

浄土三部経の一つで観経(かんぎょう)とも呼ばれています。

王子が国王の父を幽閉し餓死させようと企んだ「王舎城の悲劇」と称される、親子の間で繰り広げられた悲劇の物語から、王の后である韋提希夫人の願いにより、極楽浄土や阿弥陀仏を想い描く方法が示されています。

そして、どんなに罪深いものも、阿弥陀仏の願い(念仏)によって極楽浄土に生まれると説かれています。

 


(きょう)

織物の縦糸を意味する「sutta(スートラ)」が語源で、道理がとおったものを意味します。

仏教では、お釈迦様の言葉(仏法)を、後にお弟子様たちが書き留めたものを指します。

 

教行信証
(きょうぎょうしんしょう)

親鸞聖人が著述した「顕浄土真実教行証文類」の略称で、浄土真宗の根本聖典。

親鸞聖人が法然上人と共に活動していた時代、お念仏の教えは宗教弾圧を受け、法然門下は死罪・流罪に処せられました。

親鸞聖人は既存仏教からの批判から、お念仏の教えを守るために、法然上人から継承した真意を明確にする必要があったとも考えられています。

教巻・行巻・信巻・証巻・真仏土巻・化身土巻の6巻から成り、行巻の末には正信偈(正信念仏偈)が含まれています。

庫裡
(くり)

寺院の建物のうち、本堂以外の部分。

参拝者への食事を準備する台所や広間などがあり、一般的には住職の家族が住む住宅部分も含みます。

袈裟
(けさ)

僧侶が身に着ける法衣の一部。

法衣は元々、雑巾にもならないようなボロ布を継ぎ接ぎした糞掃衣(ふんぞうえ)と呼ばれる衣でしたが、仏教が時代を経て中国に渡り、絢爛豪華なものも作られるようになりました。

浄土真宗の僧侶が身に着けるものでは、七条袈裟・五条袈裟・輪袈裟(畳袈裟)などがあります。

外陣
(げじん)

本堂のうち、参拝者がお参りするスペース。

浄土真宗の本堂はこのスペースが広く、法を聞く「お聴聞」の場を大切にしていることが表れています。

この広いスペースで、たくさんのお参りの方々に、仏教の考え方をお伝えしたいと願っています。

 


(こう)

1.信仰を共にする人々の集まりで、浄土真宗では蓮如上人の時代に全国に広まりました。

2.仏教行事そのものを指す言葉で、報恩講などもその一つです。

 

御文章
(ごぶんしょう)

蓮如上人が記されたお手紙。

​本願寺派(お西)では御文章と呼ばれていますが、大谷派(お東)では「御文(おふみ)と呼ばれています。

手紙というメディアを用いることで、遠隔で仏法を伝えられました。

全国に広がった「」に向けて送られ、これを読むことで識字率が高くなったそうです。

また、送られたお手紙はからへとわたり、同志のネットワークが形成される要因にもなったと言われています。

​このネットワークは、本願寺教団が形成されて発展した要因にもなっています。

​なお、真宗十派のうち東西本願寺派だけが御文章(御文)を拝読しています。

 

四十八願
(しじゅうはちがん)

浄土真宗で、最も大切にしている経典「無量寿経」に示された、阿弥陀仏が仏と成る前、法蔵菩薩だったとき、仏と成るために途方もなく永い時間をかけて考え誓われた48の願い。

法蔵菩薩は、果てしなく永い期間修行された末、この願いを完成させて阿弥陀仏と成られました。

浄土真宗では、この中の第十八願が願いの中心と受け取っています。

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七高僧
(しちこうそう)

お釈迦様が説かれた南無阿弥陀仏の教えを、親鸞聖人まで正しく伝えてくださったインド・中国・日本の七人のお坊様。

インド:龍樹菩薩・天親菩薩

中国:曇鸞大師・道綽禅師・善導大師

日本:源信和尚・源空上人(法然上人)

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釈迦
(しゃか)

お釈迦様・釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)・釈迦如来・釈尊・世尊。

本名はゴータマ・シッダッタ。

浄土真宗の本堂にはお釈迦様の仏像などは安置していませんが、お釈迦様のことを疎かにしている訳ではなく、正信偈の中にも120行の中の24行にわたってお釈迦様を称えてます。

仏教は数多くの宗派に分派していますが、その全ての根本はお釈迦様の言葉(考え方)から生まれたものです。自分と違う宗派の教え(考え方)を批難することは、お釈迦様の教え(仏法)を批難することに繋がるように感じています。

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舎利弗
(しゃりほつ)

釈迦様の十大弟子のお一人で、智恵第一と呼ばれ尊敬されていました。

​サンスクリットの原語ではシャーリープトラというお名前で、般若心経などに書かれた舎利子(しゃりし)は同一人物です。

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住職
(じゅうしょく)

寺に住み、建物の維持管理やお勤めやお参りなどの法務をする僧侶で、宗教法人としての代表役員の職名。

​浄土真宗の場合、住職になるためには、僧侶の資格の上に教師資格(住職になる資格)を取得する必要があります。

性別の限定はなく、女性住職もいらっしゃいます。

元々僧侶は戒律上結婚できませんでしたが、浄土真宗では親鸞聖人が結婚されて子を授かったため、世襲制が生まれました。

​御前・御院家・ごえんさん・和尚など、地域や習慣にによっていろいろな呼び方がありますが、不安な場合は「住職」が間違いないと思います。

正信偈
(しょうしんげ)

約800年前に親鸞聖人が著した偈(うた)で、正式には正信念仏偈といいます。

阿弥陀仏の「全てのいのちを救います」という願いが、お釈迦様によって示され、インド・中国・日本の七人の高僧方のお導きのおかげで親鸞聖人まで届いた喜びが綴られています。

約550年前に蓮如上人が吉崎御坊で和讃(親鸞聖人が詠まれた和歌)と共に節(メロディー)を付けて唱和するお勤めとして制定され、現在に受け継がれています。

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浄土三部経
(じょうどさんぶきょう)

​極楽浄土の風景や阿弥陀仏の願いを示した経典で、親鸞聖人の師である法然上人が数ある経典の中から選ばれました。

無量寿経(大経)・観無量寿経(観経)・阿弥陀経(小経)

​浄土宗・浄土真宗・時宗の根本経典。

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真宗十派
(しんしゅうじゅっぱ)

親鸞聖人を宗祖とする宗派は多数存在します。

以下の10の宗派は「真宗教団連合」を発足し活動しています。

浄土真宗本願寺派(西本願寺)(京都府)

真宗大谷派(東本願寺)(京都府)

真宗高田派(専修寺)(三重県)

真宗佛光寺派(佛光寺)(京都府)

真宗興正派(興正寺)(京都府)

真宗木辺派(錦織寺)(滋賀県)

真宗出雲路派(毫攝寺)(福井県)

真宗誠照寺派(誠照寺)(福井県)

真宗三門徒派(専照寺)(福井県)

真宗山元派(證誠寺)(福井県)

真宗教団連合

 

親鸞聖人
(しんらんしょうにん)

平安末期(1173年)にお生まれになられ、9歳で仏門に入られました。

比叡山で20年間修行されましたが、本当の心の安らぎを得ることは出来ませんでした。

意を決した聖人は、山を降り戒律の生活と決別し、法然上人の門弟となられ、南無阿弥陀佛の浄土の教えにご自身の救いを見出されました。

当時、新興団体であった法然門下は宗教弾圧を受け、死刑や京都からの追放などの刑を受け、親鸞聖人も京都から追放され新潟に移られました。

晩年このことを、「弾圧を受けたおかげで新潟の人々にまでお念仏の教えを説くことができた」と振り返っていらっしゃいます。

また、歴史上初めて公式に結婚され子を授かった僧侶と言われています。

​Wikipedia

 
 

第十八願
(だいじゅうはちがん)

仏説無量寿経に示された阿弥陀仏の48の願い(四十八願)の18番目の願いで、中心となる願いなので「本願」と呼ばれています。

「すべてのいのちを救いたい」​という願いで、「わたしを救ってください」と願う以前に、​阿弥陀仏の方から願われていることを示されています。

この願には「ただし、五逆(父母や仏を殺す、仏を傷つける、教団の和合を乱す)を犯し、仏法を誹謗するもの除きます」という言葉が添えられています。

この言葉を親鸞聖人は「阿弥陀仏は五逆の罪の重さを知らしめて、すべてのいのちを救うことを誓われた」と解釈されています。

​Wikipedia

 
 

内陣
(ないじん)

本堂のうち、本尊が安置されたスペース。

「極楽浄土」をイメージして、金箔や彩色を用いた煌びやか装飾を施しています。

その様式は定型化されていて、全ての本願寺派の寺院では配置や飾り付けがほぼ同じです。

 

南無阿弥陀佛
(なもあみだぶつ)

「南無」は「大切に敬う」というインドの言葉「ナマス(ナモー)」に漢字を当てはめたもので、意味を漢字にすると「帰命」となります。

「全てのいのちを救う」と誓いを建てられた阿弥陀仏への感謝の言葉です。

​「なむあみだぶつ」と発音する宗派もありますが、本願寺派では「なもあみだぶつ」と発音します。

念仏
(ねんぶつ)

「南無阿弥陀仏」を声に出して称えることを「称名念仏」と言いますが、元々は仏の功徳や姿を心に思い描く「憶念」に重きを置いていたようです。

浄土三部経の各経典でも、無量寿経には「十念すれば」、阿弥陀経には「1日〜7日でも心を乱さずに阿弥陀仏を心に持つなら」など、「憶念」の意味合いを感じています。

「南無阿弥陀仏」を声に出して数多く称えることは、自分の努力で功徳を積む「自力」の修行とも考えられ、阿弥陀仏からの願いを拠り所とする「他力」の考え方とは異なるかもしれません。

 
 

布施
(ふせ)

語源はダーナというサンスクリット語で、「自分の大切なモノを提供する(施す)」という意味で、主に以下のものがあります。

財施:生活に必要な衣食住に関わるもの(金銭を含む)を提供すること。

法施:仏の教えを説くこと。

無畏施:恐怖心を取り除くこと。恐怖心を与えないこと。

その他にも、「笑顔をで接すること」「やさしい言葉をかけること」などがあります。

ちなみに、語源のダーナという言葉は、旦那の語源で「財施をする人」を指すようになりました。

また、ダーナがヨーロッパに渡ってDonate(寄付する)という言葉になっています。

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布袍
(ふほう)

僧侶が身に着ける法衣の一つ。

僧侶の制服的な衣で、白い着物(白衣(はくえ))や洋装(スーツやクールビズスタイルなど)の上から着用し、輪袈裟を着けます。

一般的に黒い衣ですが、近年「カラー布袍」も登場しています。

本願寺派では「布袍(ふほう)」と呼びますが、多くの宗派では「間衣(かんえ)」と呼ばれています。

​井筒法衣店

報恩講
(ほうおんこう)

親鸞聖人のご恩に報いる、浄土真宗で最も大切な行事で、以下の3つがあります。

本願寺で毎年1月16日(旧暦11月28日)までの1週間にわたり勤める「御正忌報恩講」

別院や一般寺院の行事として勤める「報恩講」(照恩寺では10月25・26日)

ご門徒のお宅で勤める「報恩講参り」

法蔵菩薩
(ほうぞうぼさつ)

阿弥陀仏がさとりを開き仏と成る前のお名前。

 

坊守
(ぼうもり)

広辞苑によると「僧の妻」となっているようですが、性別は限定されていないため「住職の配偶者」が正しいかもしれません。​

本願寺
(ほんがんじ)

親鸞聖人が亡き後、お墓(大谷廟堂)が京都東山 鳥辺野の北「大谷」に建てられました。

この廟堂に対して亀山天皇より「久遠実成阿弥陀本願寺」(くおんじつじょうあみだほんがんじ)という名が下賜され、この廟堂が基となって、聖人を敬う方々が集う本願寺教団が形成されるように成り、後に本願寺が建立されています。

戦乱の時代に、場所を移りながら守られてきました。

現在地に移転する以前には現在の大阪城の場所にありましたが、豊臣秀吉から京都堀川(現在の西本願寺の場所)の土地を寄進されて移転しました。

​この頃、本願寺は一つで、東西に別れていませんでした。

ちなみに、西本願寺の正式名称は「本願寺」、東本願寺の正式名称は「真宗本廟」といいます。

本願寺 ​Wikipedia

本願寺派
(ほんがんじは)

現在、京都に西本願寺(本願寺派)と東本願寺(大谷派)が在ります。

この二つは元々一つでしたが、後継者問題や、徳川家康の策略(幕府にとって驚異的な勢力であったため)も関係して分裂させられたとも言われています。(諸説あり)

本願寺派 ​Wikipedia

本堂
(ほんどう)

寺院の御本尊が安置された建物で、御堂(みどう)とも呼ばれます。

本尊を安置する内陣と、参拝者がお参りする外陣に区分されます。

 

無量寿経
(むりょうじゅきょう)

浄土三部経の一つで大経(だいきょう)とも呼ばれ、浄土真宗では中心となる経典です。

釈迦様がお弟子の阿難尊者からの「今日のお釈迦様は、いつもにも増して尊く輝いて見えますが、なぜでしょうか?」という問いに応えた言葉です。

遥か昔、阿弥陀仏が仏と成る前、法蔵という菩薩さまだった時代からのストーリーが語られています。

法蔵菩薩は師匠の世自在王仏に出会い、仏と成るために誓われた願いを成就して、すべてのいのちを救う阿弥陀仏と成られました。

浄土真宗の根本となる阿弥陀仏の48の願い(四十八願)が示され、名号(南無阿弥陀仏)の救いの根拠が語られています。

 

門徒
(もんと)

門とは「同じ師を仰ぐ集まり」で、仏門・浄土門を指します。

門徒の「門」が指す師とは、親鸞聖人であり、法然聖人でもありますが、辿り着くところはお釈迦様だと感じています。

徒は仲間や弟子という意味を持ち、門徒とはお釈迦様の弟子を指します。

檀家(だんか)と同じように使われていますが、檀家は家・家族を指すのに対し、門徒は本来個人を指す言葉で、​浄土真宗では檀家という言葉を使わず、門徒と表現するのは、「信仰は個人のもの」という考え方に基づいています。

ら行

 

蓮如上人
(れんにょしょうにん)

東西本願寺の現在の基盤を築かれました。(東西本願寺は、蓮如上人の後の時代に分裂しました。)​

当時の浄土真宗は、親鸞聖人のお弟子が中心となって発展した宗派が盛んでした。

親鸞聖人からの血脈を中心に受け継がれてきた本願寺は衰退の一途を辿っていたそうです。

この本願寺を復興するため、御文章による文書伝道を盛んに行い、吉崎(福井県あわら市)では親鸞聖人が記された正信偈・和讃に節(メロディー)を乗せて、新しいお勤めを制定しました。

また、正信偈を印刷して広く普及させるなど、斬新なイノベーションを興されました。 8代本願寺門主で、中興の祖とされています。

 
 

​和讃
(わさん)

仏法あるいは仏の徳などを讃えた詩で、親鸞聖人は三帖和讃などを著述され、500首以上の和讃を残しています。

詩は七五調で整えられた「今様」という様式で、当時流行した新しい文化だったそうです。

今様の詩には様々な節(メロディー)で歌われ、楽しまれていました。

おそらく、親鸞聖人もこの和讃を様々なメロティーに乗せて楽しんでもらうことを望んだように感じています。

蓮如上人が越前の吉崎に来られた時、越前のご門徒が親鸞聖人の和讃を歌っているのをお聞きになり、これをヒントに和讃と共に正信偈を唱和する勤行を制定されたという説があります。

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